吉野家の原点を味わってきました♪

AMNさんの毎度おなじみ大人の社会科見学に行ってきました。

吉野家牛鍋丼

吉野家牛鍋丼

阿部社長からのごあいさつで、吉野家さんの起源について教えていただきました。

日本橋で創業したのがはじまりで、当時は豆腐等牛肉や玉ねぎ以外の具材も含まれていたそうです。(えっと、ネタバレw)

今回試食させていただく、牛鍋丼はその当時に販売していたものの復刻版だそうです。

吉野家牛鍋丼

つづいて、企画の方から吉野家の歴史についてをご説明いただきました。

吉野家ホールディング

1899年日本橋の魚河岸にて創業したそうです。名前の由来は創業者の出身が吉野だったので歌舞伎等の掛け声の「家」を加えて吉野家になったそうです。

その後、築地に移転して、角地の一等地をゲットしたそうですw

 

1971年なじみの吉野家マークが誕生。

アルファベットのYにどんぶりを重ね合わせて牛をデフォルメ。オリエンタルなイメージのために綱を追加したそうです。

 

その後事業拡大したものの、原材料の確保に苦労して、1980年に会社更生手続きを申請。

この時点で、吉野家は倒産したのかと思っていました。

子供のころ、私の地元には吉野家はありませんでしたし。

倒産の原因はその当時、生肉をそのまま店舗にいれられないので、台湾に送ってフリーズドライ加工をして提供したそうです。

当然コストは上がって値上げをするが、味は落ちるので「まずくて高く」してしまったことになった。

そこから、逆転の発想で「安くてうまい」にするということに注力し、2002ねんまで事業拡大路線をたどってきた。

その後、BSEの影響で米国産牛肉輸入禁止に伴い「牛丼の牛肉が確保できない」状態になり売り上げは激減。

 

吉野家は国内、海外あわせて1630店舗あるそうです。

確かに、シンガポールでも、上海でも、USでも店舗をみかけました。

 

吉野家の商品は、すべて「うまい」「やすい」「はやい」この3つのキーワードがカギ。

このバランスは時代によって異なり、市場の価値観に合わせて是正していたそうです。

吉野家牛鍋丼

 

2010年でのバランスは2001年のニーズとはことなり、こういう形に合わせたそうです。

吉野家牛鍋丼

 

牛鍋丼開発物語。

商品開発者の方が「胸キュン」しちゃうような内容だそうです。

 

すきや、まつやの値下げに伴い、売上減の吉野家。

牛鍋丼の開発はそんな時に始まりました。

以前販売していた牛鍋が、好評だったのであの味以上の味を出そうと研究する商品開発員。

店舗で煮るためのたれの研究から牛肉と豆腐、玉ねぎに添える具材を研究。

たけのこ、はくさい、えのき、などなど。

結局白滝を選択したそうです。ところが、白滝も残念ながら水分を放出してしまう特性があるので研究に苦心したそうです。

しかも、白滝は盛り付けのために結び白滝でも別盛でもなく、混ぜてもりつけるそうです。

 

また、どんぶりのデザインひとつにしても研究に研究を重ねたそうです。

丼は並丼の柄を変えて白磁にマークをつけて実験販売したそうです。

次に、並丼より口径を少し小さくして実験販売したそうです。

さらに、牛丼と同じ丼に口径を小さくして実験販売したのですが、牛丼用と区別がつかなくなったため、内側の模様を変更して店舗で区別がつくようなデザインに変更したそうです。

牛鍋丼を100日間食べ続けた菅原さんは、特に太るわけでもなく健康でした。

そんな牛鍋丼の1杯あたりのカロリーは牛丼より低く593Kcalです。

 

たくさん写真を撮影したので、Flickrからご覧ください。

全国発売は9月7日(ぎゅうなべ)だそうです。

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